2013/01/04

駄菓子は俺のタイム・マシン♪

年末の30日、地元たまプラーザの駄菓子屋まこちゃんに久々に寄ってみた。お休みかと思ったけど開いてたよ。おばあちゃんも元気そうだった。12月15日朝日新聞夕刊に梅ジャム作り65年の高林さんの記事が掲載されたから久しぶりに食べたくなってさ。




この人だったのかぁ。俺にとってこの高林さんはネ申かも!



























駄菓子の王様『梅ジャム』(@10円)と『ミルクせんべい』(@20円)を大人買い。梅ジャムは店内在庫42個を買い占めた、ミルクせんべいは30個入り段ボールで。ミルクせんべいはその昔はバラ売り用に筒状のビニール袋に300枚だか入って売ってたけど最近は衛生面からか10枚ずつ包装されてる。ミルクせんべい1袋に梅ジャム1袋半ほどを使った方が美味しいので、梅ジャムを多めに買うべし。



駄菓子の女王様『すもも漬』(@40円)も5つ。この汁のアブナイ酸っぱさは駄菓子の真骨頂である。当然すべて飲み干すのが鉄則。と、言うか、主役はこの汁なのだ。オマケのすももの実は普通は2個入りだがたまに小振りのため3個入りもあって得した気分になったもんだ。

口直しに『カレーせんべい』(@30円)。当時は紫色の裏紙を捲るクジをひく。1杯、3杯、5杯、7杯、大当たりは10杯(だったかな)をビニールの大袋からガサーッと薄紫の透明プラスチックコップですくってビニールの小袋に入れてもらったなぁ。夕方、テレビを観ながら食べてたンだな。




俺が生まれ育ったのは渋谷区代々木4丁目の参宮橋。駄菓子黄金期の昭和40年代当時は駄菓子屋が4軒もあった。改札を出て左に行ってすぐの左手に田岡さんというじいさんがやってる店があってここで梅ジャムを覚えた。大きな貝皿に梅ジャムが盛ってあって、竹べらでミルクせんべいにたっぷり塗ってサンドイッチしてくれた。とにかく衝撃的な味だった。これで5円だったっけな。

その先の闇市風の参宮橋ストア内に1軒あったけどバリエーションが少なくあまり行かず。あと銭湯に行く途中に1軒。ここはバリエーションに富んでいて麩菓子、ポンポンオニギリ(ポンポン菓子を伸ばした水飴でボール状にしたもの)、酢漬イカ、ガラス管に入ったゼリー(小さな四角い紙を捲って当たりならもう1本)、四角く切ったあんず寒天、あんず棒、のしイカなんかを買ったなー。明治神宮でのマッカチン釣りの餌のイカもここで仕入れた。我慢できなくてほとんど自分で食べちゃうんだけどねw

そして米屋の隣のもたいさん。パン屋さんなんだけど、半分は駄菓子を売ってた。三角飴が人気だった。紐を引っ張って大きいのが取れたらラッキー。おじさんの目を盗んで飴を引っ張ってどの紐が当たりかズルする奴が多くて子供ながら嫌になったもんだ。ここではすもも漬、白玉、フィリックスのガム、オレンジガム、ライスチョコ、チューブ入りチョコ、ココアシガレットとか。きな粉だんごが人気だったけど俺はパス。お店番をたまにしてたのが娘のもたいまさこさんだった。後年ウチの会社が主催した『やっぱり猫が好き』のイベントで30年ぶりに再会したけど驚いてたなぁ(^-^)。

駄菓子屋は代々木1丁目にも1軒あって、チャリで遠征してさくら大根やカレーせんべいを山盛り買ってきたナ。

今でもスーパーで売ってる麩菓子。棒状の製品と、
このカットされた製品があるがこのカット版の方が
切り口に甘いのが沢山ついていてオススメだ。
甘さは当時ものよりこちらの方が断然濃い。
とにかく俺は駄菓子で育った。駄菓子で腹一杯で夕飯をパスしたほど。駄菓子には不思議な魅力がある。今ではタイム・スリップさせてくれる薬のような効能もある。俺の駄菓子の定義は合成甘味料、合成着色料、合成保存料の3要素の使用がマストだ。口の中が真っ赤や黄緑に染まらないと駄菓子じゃない!

んで、駄菓子を食べたことない人が沢山いることを大人になってから知った。訊くと、体に悪いからダメって親に言われたから、だそうだ。駄菓子で死亡とか、健康被害なんて事実は無かっただろうに。なんかそれって勿体無かった気もするな。ノスタルジックな『三丁目の夕日』的な甘酸っぱい思い出が作れたのに。。。


言わずと知れたよっちゃんの酢漬イカ。
ビールのつまみに最高だ。これもどこでも売ってるね。
奇しくも俺の好きな番組で駄菓子の特番をやるらしい。楽しみだ。でも、制作者も視聴者も若いから新しめの駄菓子が中心なんだろうな~。梅ジャムとすもも漬が1位2位じゃないと俺は納得せん!(笑)

第1回駄菓子総選挙 2時間半スペシャル


ところでなんでみんな大人になると駄菓子を食べないンだろ。勿体無い。

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